獅子吼短信 273

ふればぬれ ぬるればかわく 袖のうえを
あめとていとう 人ぞはかなき

一遍上人が、通り雨に見舞われた尼僧たちが慌てて袈裟や衣を脱ごうとした様子を見て詠まれたそうです。雨が降れば濡れ、濡れれば乾く、それだけのことなのに、一時の雨に濡れる衣服にこだわり雨を嫌がってしまう。そんな人間の心の頼りなさが微笑ましい光景を通して描かれています。

時宗の開祖、一遍上人は、親鸞聖人より少し若い世代で、法然上人の浄土思想を学び、お念仏を身体を使って表現する「踊り念仏」を行い、鎌倉時代の浄土仏教の発展に大きく貢献された方。


例会の予定は「行事の予定」のページをご参照ください。

獅子吼短信 272

 「誕」の字は「言+延」、言葉を延ばすことから元々は「嘘、いつわり」の意味を持ちます。これがなぜか後漢時代から「生まれる」の意味でも使われるようになったそうです。この世の全ては空であり夢まぼろしのようなものであるという仏教の教えの影響があるのかもしれません。21日には降誕会法要と初参式が勤修されます。親鸞聖人のご遺徳をしのびつつ、何事も思い通りにならない儚いこの世に新しく仲間入りしてくれる初参者を歓迎する集いです。奮ってご参拝ください。


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獅子吼短信 271

散る桜 残る桜も 散る桜

散らずに残っている花もいずれは散るという無常を歌った句。一説には良寛和尚の辞世の句とも言われていますが詳細は不明で、戦時中に特攻隊員の遺書に多く引用されたことから有名になった句だそうです。

病気や事故、災害、身近な訃報などに接すると無常を思い知らされますが、何でもない日常にこそ思い出したい句です。いつか散るはかない身だからこそ、日々あくせくせずに心穏やかに感謝して過ごせれば、とは思いつつ、これがなかなかどうして難しいわけですが。

何かと変化の多い春の季節の変わり目、どうぞお体にお気をつけてお過ごしくださいませ。


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獅子吼短信 270

勘定講が無事に終わり年度が改まり、三寒四温の中に春の気配が少しずつ感じられるようになってきました。

さて、今月25日には、春の永代経法要が例年通り勤修される予定です。奮ってご参拝ください。

今月の写真は大前トメさんで。トメさんは大正9年3月29日生まれ、今月の誕生日で満97歳を迎えられます。

 

獅子吼短信 269

「獅子吼短信」のデザインと担当者が新しくなりました。しばらく内容を試行錯誤しながらの発行となりますが、引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。

また、今月より定例会に「ヨーガ教室」が加わりました。古代インド発祥のヨーガは仏教徒も深い関わりを持つ心身鍛錬の技法で、現代は世界中で実践されています。講師は湖南市の原口菜生さん。ご関心をお持ちの方はお寺までお知らせください。