獅子吼短信 285

雨の堕つるに、山の頂に住まらずしてかならず下れる処に帰するがごとし。もし人、憍心をもつてみずから高くすれば、すなはち法水入らず。

源信大師が「往生要集」で「大智度論」を引用して書かれた言葉。雨が降ると山頂にはとどまらずに必ず低いところ流れこむようなもので、もし人がおごり高ぶって自分を高くするならば、あるいは自力にたよるならば、法の水は入らない。己を虚しくして素直に仏法を聞こうとする心の大切さが説かれています。


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獅子吼短信 284

一一のはなのなかよりは 三十六百千億の
光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし

浄土和讃

一つ一つの蓮の花からは三十六百千億の光が輝き、その光が届かない所はない。この「光」は阿弥陀如来のおはたらき、煩悩の泥にまみれた私たちをほがらかに照らす光。


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獅子吼短信 283

桜木を 砕きて見れば 花もなし
花をば春の 空ゆもちくる

桜の木を砕いて中を見てみても、そこに花はないけれど、春の空がちゃんと花を運んできてくれる、という一休宗純禅師の歌。「空」には、春の「そら」と仏教の「くう」が重ねられているのでしょうか。春が来て花が咲く、この当たり前の出来事の背後にある大きな不思議や、目に見える物質の世界のはかなさを彷彿させられます。


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